The World of Dorothy L. Sayers

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 ここではセイヤーズを理解する上でのキーワードを選び、解説します。

  • フェミニズム
    •  セイヤーズはしばしばフェミニストと評価される。彼女はオックスフォード大学で学位をとった最初の女性の一人であり、当時の女性としては高い教養を身につけた人であった。このことも彼女がフェミニストと考えられる一因であろう。彼女が学んだオックスフォード大学のサマーヴィル・コレッジ(Somerville College)は1879年に女性が高等教育を受けるための施設として設立された大学であった。
       ピーター卿シリーズのヒロイン、ハリエット・ヴェインもフェミニスト的発言をしばしばしている。シリーズの1作『学寮祭の夜』は世界初のフェミニズム・ミステリと言われている。Susan Haackはセイヤーズのことをold-fashioned, humanistic, individualisticなフェミニストであるとしている。
       しかし、セイヤーズ自身はフェミニストと呼ばれることを嫌っていた。1936年5月のNancy Pearn宛の手紙では次のように述べている。

       ...but I have a foolish complex against allying myself publicly with anything labelled feminist. You will say that this is kicking down the ladder I climbed up by; and so it is. All the same, I feel that at this time of the day one can probably do more by taking the feminist position for granted. I mean that the more clamour we make about 'the women's point of view', the more we rub it into people that the women's point of view is different, and frank I don not think it is―at least in my job. The line I always wan to take is, that there is the 'point of view' of the reasonably enlightened human brain, and that this is the aspect of the matter which I am best fitted to uphold. (Letters Volume 1, PP. 391-2.)

       セイヤーズ自身は自分はフェミニストではないし、さらには急進的なフェミニズムには害が多いと繰り返し述べている。このため、セイヤーズをフェミニストと呼ぶには躊躇いが残るが、それでも彼女にフェミニスト的発言が多いことは事実である。ハリエット・ヴェインはセイヤーズ自身をいくらか反映しているであろう。
       1938年にWomen's Societyでセイヤーズが行った講演Are Women Human?では、男性は男性であり、同時に人間でもあるが、女性は女性ではあっても人間とはみなされない、としている。セイヤーズは男性と女性を区別すること自体に異を唱えていると思われる。
       かつて女性は家にとどまり、家事をすることを求められたが、家内工業から工場での生産の時代へと社会は変わり、女性が家ですることが少なくなった。その結果、仕事の場にも女性が進出し始めた時代をセイヤーズは生きたわけだが、職場で「女性としての視点(woman’s point of view)」を求めるのは間違っている、と主張。男性優位主義に対抗しようと極端なフェミニズムに走ると、男女の対立だけではなく金持ちと貧困層、若者と老人、ブルーカラーとホワイトカラーの対立(manual laborとbrain-workerという表現を用いている)といった様々な分断につながるとしている。
       キャロリン・G・ハイルブランはエッセイ「ジェンダーと推理小説」において、イギリスのミステリははじめから両性具有を受け入れていたとし、その文脈においてセイヤーズに言及している。

  • ユダヤ差別
    •  セイヤーズはしばしば反ユダヤ思想の持主であったと言われる。たしかに、例えば『誰の死体?』などを読むと、登場人物の会話の中にユダヤ人差別的発言が見られる。この作品における殺人事件の被害者はユダヤ人である。特にアメリカの読者からはセイヤーズは反ユダヤ主義者として批判された。セイヤーズの伝記作者James Brabazonはセイヤーズは反ユダヤ主義者であったとしている。フェミニズム研究家Carolyn G. Heilbrunもこれに同意している。さらには黒人や労働者階級の人々に対しても差別的だったとも言われる。加えて、ソヴィエト連邦の存在に対しても脅威を感じていたようだ。このように、セイヤーズには人種差別主義者とのイメージがあることは否定できない。
       他方、セイヤーズは尊敬するG・K・チェスタトンに対して、その反ユダヤ人的発言を批判している。また、セイヤーズが支配的役割を果たしたディテクション・クラブにおいて、ユダヤ人であるジュリアン・シモンズの入会を認めている。セイヤーズの多くの本を出版したゴランツ社のヴィクター・ゴランツもユダヤ人であった。ただし、セイヤーズ作品に反ユダヤ主義を読み取った読者から抗議の手紙が届くようになり、『ゴランツ書店』の著者シーラ・ホッジスによれば、その後ヴィクター・ゴランツとセイヤーズの関係は遠慮がちなものになったという。(P.197~198)
       一方、ホッジスは、セイヤーズ作品の反ユダヤ主義的言説は登場人物のセリフに含まれており、地の文にはないことも指摘している。『誰の死体?』でピーターは"I'm sure some Jews are very good people"と述べている。
       『犯罪オムニバス』の序文では、セイヤーズは次のように書いている。
       
       ユダヤ人は道徳的関心の強い人種で、この本(『犯罪オムニバス』のこと)の聖書外典からとった二つの物語からわかるように、悪漢探偵ものを書くのにことのほか適していた。(鈴木幸夫訳、ヘイクラフト編『推理小説の美学』36ぺージ)

       この問題については議論が尽きない。仮にセイヤーズがユダヤ人差別主義者だったとしても、当時の一般的なユダヤ人差別の域を越えるものではないように思われる。セイヤーズが尊敬したコナン・ドイルの作品においても人種差別的表現は散見され、当時の人間の限界があったのだろう。

  • キリスト教
    •  ミステリ作家として知られる一方、セイヤーズの後半生はキリスト教についてのエッセイの執筆、講演、宗教劇の執筆、『神曲』の翻訳に費やされている。父親が牧師であったことから、セイヤーズは幼い頃からキリスト教について考えることが多かったようだ。宗教劇の成功によって、セイヤーズは教会から様々なアドバイスを求められるようになった。つまり、セイヤーズは宗教界においても重要人物になった。なおダンテについては、Introductory Papers on Danteという入門書を執筆しているほどである。
       エッセイ「地上最大のドラマ」では次のように主張している。キリスト教の教理が退屈であるから教会に人が集まらないとされるがそうではなく、教理を軽視するキリスト教が退屈になったのだ。キリストは神になぞらえられるほど素晴らしい人間だったのではなく、神そのものであった。神が人間になって、人間が経験する喜びや悲しみのすべてを経験した。これこそが「地上最大のドラマ」である。
       エッセイ「その他の大罪」では、キリスト教の「7つの大罪」について論じている。なぜ「姦淫」(lust)が罪なのか。「怒り」(Ira)については、イギリス人の気質に言及しながら論じている。
       同じくエッセイ「復活日の勝利」では、神学における最大の問題を、神がそもそもなぜ創造しなければならなかったのか、という問題であるとし、これに答えられるのは芸術家のみだろうとしている。ここでセイヤーズが詩人を芸術家と認識しているということがわかり、芸術家としての矜持を感じることができる。
       その他のキリスト教関連のエッセイにおいても、セイヤーズはイギリス人の信仰心の低下を嘆いており、彼女の数々の神学エッセイ、宗教劇、講演等はキリスト教への信仰の復活を祈念したものである。それは二つの世界大戦という未曽有の出来事を経験したイギリス人としての視点も影響しているであろう。

    •  あまり認識されていないが、セイヤーズは詩人でもあった。若い頃から詩に親しみ、最初に出版された彼女の本も詩集であった。ところが、ミステリ作家として成功し、そのイメージが強くなり、自分が詩を書いていることがあまり知られていないことをセイヤーズは不満に思っていたようだ。だが、後期の宗教劇も韻文で書いているし、ピーター卿シリーズにも詩が挿入されることがある。ピーター卿自身も詩人的側面をもっているとバーバラ・レイノルズは指摘している。彼女の後半生はダンテの『神曲』の英訳に費やされたが、生涯を通してヨーロッパ文学の英訳に励んでいた。
       第二次大戦が始まると、セイヤーズは愛国的な詩を書いた。
       技法について言えば、セイヤーズはスタンザなどの詩の形に拘った。ダンテはもちろん、ルネサンス期(シェイクスピア風ソネットやペトラルカ風ソネットをのこしている)の詩や中世の詩を好み、その影響を受けている。このことから、セイヤーズはアメリカ詩に見られる自由詩(free verse)よりも伝統的な形式を守る詩を好んだことがわかる。また、猫を愛したセイヤーズは猫の登場する詩も遺しており、The Poet's Catという詩のアンソロジーにはセイヤーズの詩も選ばれている。1943年にTime and Tideに掲載された'War Cat'という詩が猫をモチーフにした初めての詩となる。この詩は1949年にBBCラジオで朗読されてもいる。

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