The World of Dorothy L. Sayers

人物

人物

 ここではドロシー・L・セイヤーズと関係の深かった人物、セイヤーズに影響を与えた人物を紹介します。
1.作家

  • ダンテ・アリギエーリ
    • Dante

       1265~1321年。イタリア・ルネサンス期の詩人。『神曲』(La Divina Commedia)、『新生』(La Vita Nuova)などの作品を遺した文学史上の巨人。後世への影響も絶大である。
       セイヤーズの後半生はキリスト教神学の研究に捧げられているが、その大きな仕事の一つとして、彼女は『神曲』を英訳している。『地獄篇』、『煉獄篇』については翻訳を終えたものの、『天国篇』の翻訳は彼女の死によって未完に終わった。友人で伝記作者のバーバラ・レイノルズが後を継ぎ、翻訳を完成させている。この英訳版『神曲』は現在でもペンギン・ブックスで利用可能で、英語で読むことのできる『神曲』の一つとしてスタンダードなものとなっている。また、セイヤーズは61歳のとき、Introductory Papers on Danteというダンテの入門書を出版している。ここでは、セイヤーズは『神曲』をchoiceのアレゴリーであると述べている。(P.4.)
       1943年、友人で神学的小説を執筆していたチャールズ・ウィリアムズのThe Figure of Beatriceの書評を書いたことを契機に、セイヤーズはダンテへの関心を深めていった。セイヤーズとウィリアムズは手紙のやり取りをしていたが、セイヤーズがウィリアムズに宛てた最初の手紙が既にダンテのことであった。レイノルズによれば、セイヤーズはダンテのナレーターとしての技術、明白なスタイル、絵画的な比喩、『地獄篇』の劇的な力、『煉獄篇』の色の繊細な使い方、『天国篇』の光のグラデーションに魅かれた。(レイノルズ、P.354.)同じくレイノルズによれば、ダンテの言葉の正確さがセイヤーズに訴えたのだという。(The Passionate Intellect, P.87.)『神曲』を翻訳したことが、セイヤーズに新たな名声をもたらし、彼女の思想も深めたと考えられる。
       なお、『神曲』以外のダンテ作品にもセイヤーズは触れていて、例えば『新生』も読んでいる。ダンテにカンツォーネに関しては、セイヤーズは「精巧で、美しく、悪夢的で、奇妙である」(elaborate, beautiful, nightmarish, and strange)である述べている。(Barbara Reynolds, The Passionate Intellect, P.39.)セイヤーズはダンテについて次のように語っている。"...it is, I think, necessary to believe what he believed, to realise that it is a belief which a mature mind can take seriously."
       1944年8月空襲警報が鳴り、避難するときセイヤーズがとっさに持って逃げた本はダンテの『地獄篇』だった。
       セイヤーズは『神曲』の中にユーモアを見出し、そのことをダンテについての講演で語った。そのためにセイヤーズは批判されることもあった。
       バーバラ・レイノルズはピーター卿シリーズの第1作『誰の死体?』にいかにダンテが影響しているかを考察している。(The Passionate Intellectの第1章'The Mind Prepared')セイヤーズのダンテへの関心が、彼女が翻訳に取り組む以前から存在していたことがわかる。作品冒頭で、蔵書家のピーターの蔵書について語られるが、そこでダンテのフロレンス版初版(1481年)を逃したくない、とピーターは語っている。

  • ジョン・ミルトン
    • John Milton

       John Milton(1608~1674)。イギリスの詩人。ピューリタン革命期に活躍した人で、クロムウェル政権に協力もした。後年、失明しつつも娘を代筆に創作を続けた。代表作は長編叙事詩『失楽園』(The Paradise Lost, 1667)でキリスト教文学の代表作の一つである。ほかに、仮面劇『コーマス』(Comus, 1634)、『復楽園』(The Paradise Regained, 1671)などの作品がある。
       後年、宗教劇や詩を多く書いているセイヤーズは、ミルトンの作品に親しみ、その影響を受けた。彼女の『神曲』の翻訳にもミルトンは影響しているのかもしれない。バーバラ・レイノルズによれば、セイヤーズはミルトンが好きだったが、難解だとも感じていたようだ。

  • エドガー・アラン・ポウ
    • Poe

       Edgar Allan Poe (1809~1849)。アメリカの詩人、小説家、批評家。「アナベル・リー」('Annabel Lee')、「大鴉」( 'The Raven')などの詩のほか、「黒猫」('The Black Cat')、「アッシャー家の崩壊」('The Fall of the House of Usher')などの怪奇小説をのこし、後世に強い影響を与えた。
       ポウの短編「モルグ街の殺人事件」(The Murders in the Rue Morgue, 1841)は初の近代的なミステリと言われる。この作品に登場するC・オーギュスト・デュパンは世界初の名探偵で、その相棒の「私」は初のワトソン役とも言われる。「モルグ街の殺人事件」、「盗まれた手紙」('The Purloined Letter')、「マリー・ロジェの謎」の3編のデュパンものに加え「黄金虫」、「お前が犯人だ」の5編がポウのミステリと言われ、この5つの短編で、その後のミステリのフォーマットの多くを確立したと評価されている。
       セイヤーズはミステリの始祖として、ポウを尊敬しており、その作品の影響も受けていると考えられる。ピーター卿とその相棒のバンターの関係も、デュパンと語り手の「私」の関係を継承している。ディテクション・クラブでのディべートの対象もポウやコリンズであった。
       「犯罪オムニバス」の序文では、デュパンもの3篇と「お前が犯人だ」や「黄金虫」を取り上げ、ポウの革新性を解説している。「マリー・ロジェの謎」を最も面白いとし、逆に「お前が犯人だ」はつまらないとしている。デュパンを名探偵の元型の一つとし、その後も探偵に強い影響を与えたとしている。探偵像の創作に加え、プロットの革新性について、「モルグ街の殺人」における3つのモチーフを指摘している。すなわち、①あやまって容疑を受ける男、②密室、③意外な手段による解決、の3つで、これらもその後のミステリで踏襲されることになる。

  • ウィリアム・ウィルキー・コリンズ
    • Collins

       William Wilkie Collins。1824 ~1889年。ヴィクトリア時代イギリスの小説家。チャールズ・ディケンズの友人で、ミステリやゴシック小説など、多くの作品をのこした。代表作の『月長石』(The Moonstone, 1868)は長編推理小説としては最初期のものである。ゴシック小説『白衣の女』(The Woman in White, 1860)も代表作のひとつである。ミステリ史上、ポウとコナン・ドイルの中間に位置する重要な作家である。江戸川乱歩ら、日本のミステリ作家への影響も大きい。
       セイヤーズは『月長石』をはじめとするコリンズの作品を愛読していた。 Reynoldsによれば、『月長石』の1人称による記述の技術にセイヤーズは感嘆したという。(Reynolds, P.221~222)セイヤーズはコリンズを「構成の大家」(a master of construction)で、なによりプロット・メイカーであると考えていた。他にも、No NameArmadaleにおけるコリンズの"brilliant landscapes"を称賛している。 コリンズは実際に起きた事件を参考にミステリを執筆していて、この点においてもセイヤーズはコリンズの手法を踏襲している。セイヤーズは『月長石』を最も完璧なミステリと考えていた。
       「犯罪オムニバス」において、ミステリにおけるフェア・プレイを重視していたセイヤーズは、コナン・ドイルにおいてフェア・プレイ精神は後退したが、またこれを重視するコリンズの時代に戻りつつあるとしている。セイヤーズは「探偵小説が存続し、発展していくとしたら、それはコリンズやル・ファニュの手で始められたところに帰っていき、純粋なクロスワード・パズルになるかわりに、今一度風俗小説にならなければならない」と述べている。(大社淑子訳)
       『月長石』における書簡の使用は、セイヤーズの『箱の中の書類』における書簡の利用に影響を与えている、と指摘する研究者もいる。(Hall, P.63.)また、『月長石』の登場人物Rachel Verinderについて、セイヤーズはフィクションにおける最も素晴らしい人物の一人と語っている。(Letters Volume 1, P.361.)伝記作者Reynoldsによれば、コリンズの研究なくしては小説家としても、批評家としてもセイヤーズはまったく別のものになっていただろうとしている。(Reynolds, P.197.)
       1921年、セイヤーズはゴランツ社からコリンズの伝記を出版するべき準備を進めていた。この作業は1931年になってようやく着手されたが、結局完成することはなかった。とはいえ、Wilkie Collins: a Critical and Biological Studyとして出版された。この過程で身に着けた事実の正確さへの熱意、散文的だが正確な細部の集積はコリンズから学んだもので、セイヤーズはこうした態度が物語に真実味を与え、登場人物に真実味を与えると考えていた。(Reynolds, P.196~197) また、コリンズが結婚制度における男女の不平等や非嫡子の法律上の扱いを扱っていることを重視している。このあたりはセイヤーズの伝記的事実と合わせて考えると興味深い。
       一方、コリンズの小説における科学性についてはセイヤーズは懐疑的で、ユースタス・バートンへの書簡でそのことを述べている。(Letters Volume 1, P.278~280.)

  • ロバート・ユースタス
    •  ロバート・ユースタス・バートン(Robert Eustace Barton)。1854年~1943年。ノーサンプトンの精神病院で働く医師でミステリ作家。ディテクション・クラブのメンバーであったが、そのプロフィールについては不明な点が多い。セイヤーズと結婚していたという噂が流れたことさえある。セイヤーズは昼食にユースタスを誘い、二人は馬が合ったという。
       ユースタスは医師であることを強みに、科学知識を用いたミステリを書いた。セイヤーズは『毒を喰らわば』で使うヒ素についてユースタスに助言を求めている。また、ユースタスはセイヤーズと合作で『箱の中の書類』を発表している。『箱の中の書類』執筆過程については、マーティン・エドワーズが『探偵小説の黄金時代』の第10章「毒を始末する方法」において詳説している。
       ユースタスの邦訳作品としては、ほかに短編「茶の葉」がある。

  • アーサー・コナン・ドイル
    • Conan Doyle

       アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle)。1859~1930年。イギリス(スコットランド)のミステリ、SF、歴史作家。エディンバラ生まれ。もともと医者であったが、小説を書き始め、シャーロック・ホームズ・シリーズで世界的名声を得た。ポウが創始したミステリというジャンルをさらに拡大し、ミステリの基本的なフォーマットを確立した功労者と言える。後年は心霊学に傾倒した。代表作に『シャーロック・ホームズの冒険』(The Adventures of Sherlock Holmes)やホームズものの代表的長編『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles)、さらにはSF小説『失われた世界』(The Lost World)などがある。本人は歴史小説を目指しており、その方面の仕事としては『マイカ・クラーク』(Micah Clarke、1889)、『白衣の騎士団』(The White Company, 1891)などがある
       セイヤーズは先輩ミステリ作家としてコナン・ドイルを尊敬していて、例えば『誰の死体?』はホームズものの影響下にあることを認めている。同書には次のような一節がある。"it's only in Sherlock Holmes and stories like that, that people think things out logically." (P.120.) さらには、"Make me (Peter) feel like Sherlock Holmes'とも書かれている。(P.150.)
       Trevor H. HallのDorothy L. Sayers: Nine Literary Studiesの第1章は'Lord Peter Wimsey and Sherlock Holmes'で、両者の類似点を検討している。一例をあげれば、ホームズの住所がベイカー街221Bで、ピーター卿の住所ピカデリー街110Aであることに言及し、221を2で割ると110であると指摘している。(Hall, P.3.)同じくHallによれば、第2作『雲なす証言』においてもシャーロック・ホームズの名前が言及されるほか、ピーター卿は「ウエスト・エンドのシャーロック・ホームズ」と形容されている。ピーター卿の造形において、ホームズが大きな役割を果たしていることは疑いがない。
       セイヤーズは'The Dates in "The Read-Headed League"というエッセイを書いている。さらには"Dr. Watson's Christian Name"というエッセイでは、ワトソンのクリスチャン・ネイムを推理している。 Sherlock Holmes and Dr. Watson: The Chronology of their Adventureを出版したアメリカの作家ハロルド・W・ベル宛ての1933年の書簡の中で、「赤毛組合」「マスグレーヴ家の儀式書」「グロリア・スコット号」『緋色の研究』などのコナン・ドイルの作品に言及している。(Letters, Volume 1, P.325~326.) セイヤーズはいわゆる「シャーロキアン」と呼んでよいほどのホームズ・シリーズへの愛を示している。また、ワトソンの頭文字がHであるセカンド・ネイムについて、「ジェイムズ」に相当する「ヘイミッシュ」ではないかという説を提示している。
       さらにはセイヤーズはロンドン・シャーロック・ホームズ協会の創立会員であった。セイヤーズはピーター・パンの銅像があるのに、ホームズやワトソン、ハドソン夫人の銅像がなぜないのか、と語っていたという。(エドワーズ、P.240.) ジョン・ディクスン・カーが書いた劇『フランス大使のズボン』(The French Ambassador's Trousers)にはセイヤーズはハドソン夫人役で出演している。

  • エドガー・ジェプソン
    •  Edgar Jepson. 1863~1938年。イギリスのミステリ作家。ミステリのほかに冒険小説や幻想小説ものこしており、その数は40を越える。オックスフォード出身。代表作にThe Loudwater Mystery (1920)などがある。
       ディテクション・クラブでも最年長の作家の一人。クラブによるリレー小説『漂う提督』にも参加している。

  • ヴィクター・L・ホワイトチャーチ
    • Whitechurch

       Victor Lorenzo Whitechurch. 1868~1933年。聖職者でありつつ、ミステリも執筆したイギリスの作家。各地で司祭を務め、オックスフォードのクライストチャーチの参事会員も務めた。菜食主義者。司祭として働きつつ、多くの小説を発表した。キリスト教関連の著作もあるが、ミステリとしては鉄道ミステリの傑作とされる短編「ギルバート・マレル卿の絵」('Sir Gilbert Murrell's Picture', 1912)が特に有名である。この作品に象徴されるように、鉄道ミステリを得意とした。この短編にも登場する探偵ソープ・ヘイズル(Thorpe Hazell)がシリーズ探偵である。書籍収集家で鉄道愛好家のヘイズルはいわゆる「シャーロック・ホームズのライヴァル」の一人に数えられる。ホワイトチャーチの鉄道ミステリはThrilling Stories of the Railway (1930)にまとめられている。
       ホワイトチャーチがディテクション・クラブに加入したのは晩年の1930年のことであった。クラブによるリレー小説『漂う提督』(1931)に参加し、冒頭部分を担当した。

  • G.K.チェスタトン
    • チェスタトン

       ギルバート・キース・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton)。1874~1936年。イギリスの作家、詩人、評論家。「ブラウン神父」シリーズで知られる。ブラウン神父もの以外では、『ノッティングヒルのナポレオン』(The Napoleon of Notting Hill, 1904) などの作品がある。のちにカトリックに改宗。その分野の著作としては『正統とは何か』(Orthodoxy, 1909)などがある。セイヤーズも所属していたディテクション・クラブの初代会長を務めた。
       セイヤーズは「ブラウン神父」シリーズを愛読していた。奇抜なトリックを駆使した短編作品であるこのシリーズと、セイヤーズの長編に類似点は少ないように思われるが、セイヤーズはなんらかの影響をチェスタトンから受けていたと思われる。セイヤーズのチェスタトンの講演「資本主義と文化」(Capitalism and Culture)を聞いてもいる。余談ながら、チェスタトンの友人にして論敵だった劇作家バーナード・ショウの講演にもセイヤーズは足を運んでいるが、セイヤーズはショウの"clever half-truths"ゆえに嫌っていた。
       また、キリスト教徒としての姿勢においてもセイヤーズはチェスタトンの影響を受けた。セイヤーズはチェスタトンの『正統とは何か』のおかげで自分の信仰が確立したと述べている。Colin Duriezはセイヤーズの信仰のコアには罪の意識があるとしているが、そこにもチェスタトンの影響があるようだ。(Duriez, 53)さらにはセイヤーズにおけるコメディの才能、センスもチェスタトンの影響かもしれない。
       セイヤーズはチェスタトンについて次のように述べている。
       "To the young people of my generation, G.K.C was a kind of Christian liberator. Like a beneficent bomb, he blew out of the Church a quantity of stained glass of a very poor period and let in gusts of fresh air, in which the dead leaves of doctrine danced with all the energy and indecorum of Our Lady's Tumbler. " (Dale, P.37~38.)
       1925年10月のジョン・コーノス宛ての手紙でセイヤーズは次のように書いている。

       It is certainly admirable - one of the soundest and most useful pieces of constructive criticism I have met with for a long time. G.K.C. has put his finger at once on the central difficulty of detective fiction. (Letters Volume 1, P.240.)

       チェスタトンが亡くなった時、セイヤーズは夫人にお悔やみの手紙を書き、そこで『新ナポレオン奇談』を読んだときの興奮を語っている。(Letters Volume 1, P.394.)
       セイヤーズも参加したリレー小説『漂う提督』(The Floating Admiral, 1931)ではチェスタトンはプロローグを担当している。

  • E.C.ベントリー
    • Bentley

       エドマンド・クレリヒュー・ベントリー(Edmund Clerihew Bentley)。1875~1956年。イギリスのミステリ作家、詩人、ジャーナリスト。画家だった父親の影響で、画家として出発し、成功を収める。執筆したミステリの数は多くはないが、長編ミステリ『トレント最後の事件』(Trent's Last Case, 1913)は古典ミステリの傑作として知られている。本作は探偵役のフィリップ・トレントが恋愛をする様が描かれ、ミステリに恋愛要素を持ち込んだ作品と評価されている。
       セイヤーズはピーター卿とハリエットの恋愛をシリーズの縦糸として織り込んでいるが、これはベントリーの影響と思われる。このことに象徴されるように、セイヤーズはベントリーを高く評価していた。セイヤーズは自身のピーター・ウィムズイがいかにトレントに依存しているかを恥ずかしさを感じつつベントリーに告白したという。(Reynolds, P.257.)また、邦訳『トレント乗り出す』の解説において、塚田よしと氏は『ナイン・テイラーズ』におけるピーター卿の皮肉な役回りにトレントの影響を見ている。
       一方、セイヤーズは自身編のGreat Short Stories of Detection, Mystery & Horror Vol1(1928)に、ベントリーのトレントものの短編「りこうな鸚鵡」('The Clever Cockatoo')を選出している。
       1936年、ベントリーが20年以上のブランクののち、『トレント自身の事件』(Trent's Own Case)で復帰するとセイヤーズはベントリー宛ての手紙(1936年4月)でこれを高く評価している。さらにセイヤーズはディテクション・クラブで「トレントの夕べ」を開催した。出席者はヘンリー・ウェイド、ミルワード・ケネディ、フリーマン・ウィルス・クロフツ、ニコラス・ブレイクらであった。セイヤーズの絶賛にも関わらず、『トレント自身の事件』は概ね不評であった。
       1936年にチェスタトンが死去すると、ディテクション・クラブの会長に就任し、1949年まで会長を務めた。

  • H・C・ベイリー
    • ベイリー

       ヘンリー・クリストファー・ベイリー(Henry Christopher Bailey)。1878~1961年。イギリスのミステリ作家。オックスフォードで学び、在学中からミステリの創作を開始する。1920年出版の短編集Call Mr. Fortune(『フォーチュン氏を呼べ』)以来のレジナルド・フォーチュン(Reginald Fortune)が活躍する中短編で知られる。翻訳ではジョシュア・クランク弁護士シリーズの長編『死者の靴』(Dead Man's Shoes, 1942)、日本独自編纂の短篇集『フォーチュン氏の事件簿』他が紹介されている。フォーチュンものの長編としては『ブラックランド、ホワイトランド』(Black Land, White Land, 1937)が翻訳されている。その他の代表作として、The Sullen Sky Mysteryなどがある。日本における知名度は高いとは言えないが、クリスティ、セイヤーズ、クロフツ、フリーマンと並ぶイギリス・ミステリ界の「ビッグ・ファイヴ」にも数えられる。
        創元推理文庫『フォーチュン氏の事件簿』の解説を担当している戸川安宜氏はフォーチュン氏はそれ以前の探偵にありがちなエキセントリックな性格の持ち主ではなく、人間的温かさを感じさせるとし、探偵の人間的魅力で読ませる点がフォーチュン氏の物語の最大の魅力であるとしている。(創元推理文庫 P.358)常識や良識に富み、人間的魅力を重視した探偵の造形にベイリーとセイヤーズの共通点が見える。また、フォーチュンは、チェスタトンのブラウン神父に通じる直観派の探偵ともしばしば呼ばれる。
       Stephen Knightはミステリの本質においてベイリーはセイヤーズに影響を及ぼしている可能性があるとしている。すなわち、ミステリにおける社会的、道徳的要素において二人は共通している。(Crime Fiction, P.85.)

  • フリーマン・ウィルス・クロフツ
    • クロフツ

       Freeman Wills Crofts. 1879年~1957年。イギリスのミステリ作家。シャーロック・ホームズに代表される、それ以前のミステリに登場する超人的な名探偵が活躍するミステリからは一線を画す、より現実的な事件、捜査を描くリアリスティックな作風が特徴である。とりわけアリバイ破りのミステリを得意とした。シリーズ探偵のジョセフ・フレンチ警部は天才型探偵ではなく、足で調べる探偵である。そのため、警察小説の初期の仕事をなしたとも評価できる。デビュー作『樽』(The Cask)は1920年の発表で、同年にアガサ・クリスティとH.C.ベイリーもデビューしているため、この年がいわゆるミステリにおける「黄金時代」幕開けの年とされている。主な作品に『マギル卿最後の旅』(Sir John Magill's Last Journey, 1930)『クロイドン発12時30分』(The 12:30 from Croydon, 1934)などがある。後者は犯人の犯行過程を描く倒叙ミステリの傑作とされる。鉄道会社で働いていた経験から鉄道ミステリも書いている。
       クロフツはディテクション・クラブのメンバーでセイヤーズとも交流があった。リレー小説『ホワイトストーンズ荘の怪事件』ではセイヤーズとクロフツが冒頭部分を手掛けた。ただし、作風的には共通点は多いとは言えない。
       

  • P. G. ウッドハウス
    • ウッドハウス

       ペルハム・グレンヴィル・ウッドハウス(Pelham Grenville Wodehouse)。1881~1975年。イギリスの小説家。幼少期は香港で過ごした。
       貴族バーティ・ウースターとその執事ジーヴスが活躍するユーモア小説で知られる。ジーヴス・シリーズはミステリとして評価されることもある。ウッドハウスはコナン・ドイルの作品を愛読しており、ホームズ・シリーズの影響もあると想像される。代表作に『比類なきジーヴス』(The Inimitable Jeeves)、『よしきた、ジーヴス』(Right Ho, Jeeves)などがある。ジーヴス・シリーズは映像化もされ、国民的人気を博した。日本でも近年翻訳が進み、人気を博している。
       セイヤーズはウッドハウスの小説を愛好していた。ピーター卿シリーズにみられるユーモアはウッドハウス譲りであると考えられる。ピーター卿とバンターの関係は、ウースターとジーヴスのそれを反映しているとも言われる。作中でウッドハウスが言及されることもあり、例えば『殺人は広告する』ではピム広報社で、職員がウッドハウスに没頭していることが語られている。
       ウッドハウスがジャーナリストのWilliam Connorに攻撃された際、セイヤーズは怒ってウッドハウスを擁護したという。

  • ジョン・ロード
    • John Rhode

       John Rhode。本名セシル・ジョン・チャールズ・ストリート(Cecil John Charles Street, 1884~1964)。イギリスのミステリ作家。140冊ほどの著作をのこした多作の作家である。ミステリとしては粗も目立つが、トリックを駆使した本格ミステリがその作品の特徴である。シリーズ・キャラクターとしては探偵役のプリーストリー教授ものが有名。代表作に『見えない凶器』(Invisible Weapons, 1938)、『ハーレー街の殺人』(Death in Harley Street, 1946)などがある。長らく日本での知名度は低かったが、近年、日本でも翻訳が進んでいる。
       ロードはディテクション・クラブのメンバーであった。セイヤーズは『死体をどうぞ』執筆の際に、ロードに助言を求めたとされる。また、ディテクション・クラブのメンバーたちによる連作長編『漂う提督』では、ロードは第5章を担当している。
       また、ロードは実際の事件・裁判を考察した『コンスタンス・ケント事件』(The Case of Constance Kent)を発表している。この本を読み、裁判に強い関心を抱いたセイヤーズは資料を集め、この事件について綿密に調査している。
       なお、1933年3月のハロルド・ベル宛ての手紙の中では、セイヤーズはロードのことを芸術家とは呼べないとしている。(Letters Volume 1, P.332.)

  • チャールズ・ウィリアムズ
    • Williams

       チャールズ・ウォルター・スタンズビー・ウィリアムズ(Charles Walter Stansby Williams, 1886~1945)。イギリスの小説家、詩人。代表作にThe Place of Lion(1931)やAll Harrow's Eve(1945年、邦題『万霊節の夜』)などがある。キリスト教神学に根差した幻想文学の書き手で、彼の作品は「神学スリラー」と呼ばれることもある。T・S・エリオット、W・H・オーデン、C・S・ルイスらがウィリアムズの作品を称賛しており、セイヤーズも賞賛者の一人であった。幻想文学大国であるイギリスの文学史においても重要な作家である。
       ウィリアムズは劇作にも手を染め、Thomas Cranmer of Canterbury (1936)はT・S・エリオットの『大聖堂の殺人』に続いてカンタベリーで上演された。その後上演されたのがセイヤーズのThe Zeal of Thy House (1937)であった。
       J・R・R・トールキンやC・S・ルイス、そしてセイヤーズと親交があった。ウィリアムズはセイヤーズの劇や詩を好んだ。二人の関心は共通しているものが多く、セイヤーズはウィリアムズに膨大な量の手紙を書いている。また、1943年にウィリアムズが評論集The Figure of Beatriceを出版した際には、セイヤーズはレヴューを担当し、これを称賛している。セイヤーズは次のように書いている。"I must not…fail to acknowledge my debt to Charles Williams's study of The Figure of Beatrice, which lays down the lines along with, I believe, the allegory can be more fruitfully interpreted to present-day readers.'
       バーバラ・レイノルズによれば、セイヤーズのダンテへの関心を最初に掻き立てたのはウィリアムズであった。1943年に出版されたウィリアムズのThe Figure of BeatriceSunday Timesに掲載された時、セイヤーズはこれを読み、ダンテを読んでみることにしたという。他にもセイヤーズはウィリアムズの影響を強く受けている。例えば、ウィリアムズのHe Came Down From Heavenから引用しているうえ、この作品について"brilliant and exciting"と表現し、善と悪の問題の"beautiful and imaginative treatment"と評している。
       ウィリアムズは1945年に亡くなったが、セイヤーズは代わりになる人がいない人を失ったとして、彼の死を嘆いた。
       なお、セイヤーズへのウィリアムズの影響についてはバーバラ・レイノルズのThe Passionate Intellectに詳しい。

  • ヘンリー・ウェイド
    • Sir_Henry_Aubrey-Fletcher,_Bt

       本名はヘンリー・ランスロット・オーブリー=フレッチャー。(Henry Wade, Henry Lancelot Aubrey-Fletcher) 1887~1969年。イギリスのミステリ作家。準男爵の家に生まれ、イートン校とオックスフォード大学で学ぶ。第二次大戦中は、軍でも活躍した。
      戦後は小説を書くかたわら、判事としても活躍した。
       ミステリ作家としては、警察の実態をリアリスティックに描くことをその特徴とし、その警察小説はクロフツの作品と比較される。1935年発表の『推定相続人』(Heir Presumptive)が出世作。そのアイロニカルな作風はいかにもイギリス的である。また、倒叙ミステリを得意とし、その分野での先駆的仕事をしている。邦訳としては、『警察官よ汝を守れ』(Constable, Guard Thyself, 1934)『リトモア誘拐事件』(The Litmore Snatch,1957)、『ヨーク公階段の謎』(The Duke of York's Steps,1929)、『議会に死体』(The Dying Alderman,1930)などがある。
       加瀬義雄氏によれば、作品に社会性をもたせることもウェイドの特色の一つであるという。警察署内で事件が発生したり、地方議会で殺人が発生したりする作品をのこしている。この社会性においてセイヤーズとウェイドは共通していると言えるかもしれない。
       ディテクション・クラブのリレー小説『漂う提督』にも参加しており、第3章を執筆している。

  • ロナルド・A・ノックス
    • Knox

       ロナルド・アーバスノット・ノックス(Ronald Arbuthnott Knox)。1888年~1957年。マンチェスター国教会主教エドマンド・ノックスの4男として生まれ、オックスフォード大学で学んだ。後にカトリックに改宗し、1919年にはカトリックの司祭になった。聖書の英訳にも取り組んでいる。宗教者であり、ミステリも執筆している点がセイヤーズと共通している。
       一方、ノックスは少年時代からシャーロック・ホームズものを愛読しており、自身でミステリも書いている。ミステリの代表作に『陸橋殺人事件』(The Viaduct Murder, 1925)や『まだ死んでいる』(Still Dead, 1934)などがある。ミステリにおけるフェア・プレイのルールを説いた「探偵小説十戒」(Ten Commandments)も有名である。セイヤーズもミステリにおけるフェア・プレイ精神を重視しており、この点において両者は共通している。また、ノックスはディテクション・クラブにも参加しているほか、セイヤーズも参加したリレー小説にノックスも参加しており、両者の関係は深い。
       ノックスはその風刺精神で知られており、ある種の軽さというかユーモアがその作品の一つの特徴である。代表作とされる『陸橋殺人事件』にもこうしたミステリを斜めにみる彼の特徴は顕著である。この能力を買われてBBCのラジオ番組の制作への参加を求められる。これが後のセイヤーズらのBBCラジオ番組への参加につながった。

  • S・S・ヴァン・ダイン
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       S.S. Van Dine. 本名はウィラード・ハンティントン・ライト(Willard Huntington Wright)。アメリカのミステリ作家。編集者、美術評論家として活躍したのち、1926年に長編ミステリ『ベンスン殺人事件』(The Benson Murder Case)でデビューし、一躍人気作家になる。代表作に『グリーン家殺人事件』(The Greene Murder Case, 1928)や『僧正殺人事件』(The Bishop Murder Case, 1929)などがある。シリーズ探偵として天才型の名探偵ファイロ・ヴァンスが登場する。映画化された作品もある。今日ではあまり読まれていないが、エラリー・クイーン登場の契機をつくった作家として、ミステリ史上重要である。
       ヴァン・ダインの伝記作者ジョン・ラフリーによれば、ヴァン・ダインは当初セイヤーズのミステリを評価していなかった。『誰の死体?』を読んで、クリスティより下と判断したという。しかし、後年、セイヤーズの作品を評価せざるを得なくなった。(ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』より)
       ヴァン・ダインは本格ミステリにおける二十則を定めたことでも知られるが、フェアプレイに拘る点は、ヴァン・ダインとセイヤーズに共通している。

  • クレメンス・デイン
    •  Clemence Dane. 本名はウニフレッド・アシュトン(Winifred Ashton)。1888~1965年。イギリスの小説家、劇作家。ヘレン・シンプソン(Helen Simpson)との合作を含めて2作しか作品をのこしていないが、ミステリも執筆している。舞台女優としても活躍した。病気療養中に小説の執筆を始めている。
       アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『殺人!』はデインとシンプソンによる合作ミステリ第1作Enter Sir John (1930)をもとにしている。(なお、同じくシンプソンとの合作によるRe-enter Sir John (1932)がある。)同じくヒッチコック監督の『山羊座のもとで』はシンプソンのUnder Capricorn (1937)が原作だが、これはミステリではなく歴史小説である。
       セイヤーズも参加しているディテクション・クラブのリレー小説『漂う提督』にデインも参加している。

  • T・S・エリオット
    • TS Eliot

       トマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot)。1888年~1965年。アメリカの詩人、批評家。後にイギリスに帰化する。いわゆる「モダニズム」(modernism)を代表する詩人・批評家で、ノーベル文学賞を受賞した。代表作に『荒地』(The Waste Land, 1922)、『四つの四重奏』(Four Quartets、1943)などがある。批評家としての仕事も重要である。ミステリ寄りの作品としては劇詩『大聖堂の殺人』(Murder in the Cathedral, 1935)がある。W・W・コリンズの『月長石』を最長にして最高のミステリと評するなど、エリオットのミステリへの関心は高かったと思われる。
       エリオットとセイヤーズは親交があり、エリオットはセイヤーズのミステリを評価していた。エリオットはカトリック教徒で宗教詩ものこしているが、キリスト教への関心という点において、エリオットとセイヤーズは共通していた。例えば、エリオットのThe Idea of a Christian Societyはセイヤーズも読んでいて、この本がセイヤーズのキリスト教関連の本に影響を及ぼしていると考えている。エリオットの宗教劇は、セイヤーズの宗教劇にも影響を与えていると考えられる。

  • G.D.H & M.コール
    •  ジョージ・ダグラス・ハワード・コール(George Douglas Howard Cole, 1889~1959)、マーガレット・コール(Margaret Cole, 1893~1980)。イギリスの経済学者、社会学者の夫婦。夫ジョージはオックスフォードで学び、社会主義に傾倒し、フェビアン協会の理事長も務めた。経済学者としては資本主義批判を展開している。妻マーガレットはケンブリッジに学び、労働運動に関心をもち、やはりフェビアン協会に加入している。また、ジョージはOxford Poetryシリーズの編集も手掛けている。1915年にセイヤーズが自作の詩を投稿したとき、コールはこれを採用している。
       夫婦は合作でミステリも書いている。日本では『百万長者の死』(The Death of a Millionaire, 1925)が最もよく知られている。経済学者の作らしく、経済的謀略がえがかれている。ロンドン警視庁の元警視ヘンリー・ウィルソンが探偵役を務めるシリーズで知られる。
       コール夫妻はディテクティブ・クラブのメンバーでセイヤーズとも親交があった。クラブのメンバーたちによる連作長編『漂う提督』では、コール夫妻は第5章を担当している。

  • アガサ・クリスティ
    • アガサ・クリスティ

       アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Agatha Mary Clarissa Christie)。1890~1976年。イギリスの女性ミステリ作家。60篇を越える多くのミステリの傑作をのこし、ミステリの女王と呼ばれる。様々なタイプの作品をのこしたが、名探偵エルキュール・ポワロや老嬢探偵ミス・マープルが活躍するシリーズがとりわけ人気である。代表作に『アクロイド殺し』(The Murder of Roger Ackroyd, 1926)、『オリエント急行の殺人』(Murder on the Orient Express, 1934)、『そして誰もいなくなった』(And There Were None, 1939)などがある。ミステリ以外の作品ものこしており、その種の作品としては『愛の重さ』(The Burden)などがある。今日まで世界中で多くの読者を獲得している。
       セイヤーズとクリスティはミステリの女王として並び称されることが多く、友人でもあった。セイヤーズは寡作であったが、クリスティは多作という違いがある。また、トリックを駆使したミステリで読者を騙すことに徹したクリスティの作品はよりエンターテイメント性が強く、そのため世界的な人気を集めた。一方、セイヤーズはトリックや意外な犯人よりも、人物描写や道徳性を重視したより純文学に近い作品を遺したと言える。初期は謎解きに力を入れていながら徐々に謎解き要素が減退していったセイヤーズ作品に対して、クリスティはセイヤーズはミステリに飽きてしまったのだと嘆いている。 クリスティは次のように述べている。

       Dorothy Sayers, alas, has wearied of the detective story and has turned her attention to elsewhere. We all regret it for she was such an exceptionally good detective story writer and a delightfully witty one. (Duriez, P.137~138.) )
       
       クリスティの代表作『アクロイド殺し』は、その犯人の意外性においてアン・フェアだと今なお批判されることもある。フェア・プレイを重視するセイヤーズは、『アクロイド殺し』をフェア・プレイの精神に則った傑作だと評価している。
       なお、現代イギリスを代表するミステリ作家レジナルド・ヒル(Reginald Charles Hill)はセイヤーズを「素晴らしいが、鼻もちならない作家」であるとしているのに対し、クリスティについてはその作品を「大衆スポーツ」と形容しているという。(創元推理文庫『不自然な死体』の久坂恭氏による解説より。)
       また、ミステリにおいても芸術性を重視する現代イギリスを代表するミステリ作家P・D・ジェイムズは、パズル性の強いクリスティを好まず、セイヤーズに私淑している。
       ゲイロード・ラーセン(Gaylord Larsen)は『ドロシーとアガサ』(Dorothy and Agatha, 1990)という小説を執筆している。これは殺人事件に巻き込まれたセイヤーズをクリスティをはじめとするディテクション・クラブの面々が真相を突き止めることで救おうとする物語である。宗教劇の上演のため多忙なセイヤーズが帰宅すると、男の射殺体を発見する。

  • J・R・R・トールキン
    • トールキン

       ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(John Ronald Reuel Tolkien)。 1892~1973年。イギリスの文献学者、小説家、詩人。オックスフォード大学で学び、同大学で教鞭をとった。文献学の仕事の加え、ファンタジー大作『指輪物語』(The Lord of the Rings, 1954~1955)シリーズで知られる。ほかに、『シルマリルの物語』(The Silmarillion)などの著作がある。
       C・S・ルイスやチャールズ・ウィリアムズなど、トールキンはセイヤーズと共通の友人をもった。トールキン自身もセイヤーズと親交があった。『指輪物語』もセイヤーズに読んでもらえるように執筆を急いだという。(セイヤーズは『指輪物語』出版の数年後に死去している。)セイヤーズとトールキン、そしてC・S・ルイスは別世界を舞台としたファンタジーを書きたいという点で共通していて、これが『指輪物語』とルイスの『ナルニア国物語』に結実した。
       しかし、トールキンはセイヤーズが犯罪小説を書いていることを好まなかった。手紙において、トールキンは次のように書いている。

       I could not stand Gaudy Night. I followed P(eter Wimsey) from his attractive beginnings so far, by which time I conceived a loathing for him (and his creatrix) not surpassed by any other character in literature known to me, unless by his Harriet. The honeymoon one was worse. I was sick.... (Duriez, 138)

       トールキンは物語終盤で起こるどんでん返しと、その結果のハッピーエンドについて「ユーカタストロフ」(eucatastrophe)という言葉を創り出した。セイヤーズの伝記作者Colin Duriezは、このユーカタストロフはトールキンのキリスト教信仰と関連しており、この点においてトールキンとセイヤーズは類似していると指摘している。(Duriez, PP.156~159.)

  • アントニー・バークリー
    • バークリー

       アントニー・バークリー・コックス(Anthony Berkeley Cox)。1893~1971年。イギリスのミステリ作家。オックスフォード大学で学び、第一次世界大戦に従軍した。本名のほか、フランシス・アイルズ(Francis Iles)名義や「?」名義で作品を発表した。ミステリ黄金時代を代表する巨匠のひとりである。『レイトン・コートの謎』(The Layton Court Mystery, 1925、?名義で発表)、『第二の銃声』(The Second Shot、1930)、『試行錯誤』(Trial and Error, 1937)などの作品が邦訳され、日本でも人気が高い。A・B・コックス名義で『黒猫になった教授』(The Professor on Paws,1926)というSF小説も発表している。
       バークリーの代表作『毒入りチョコレート事件』(The Poisoned Chocolates Case,1929)は様々な仮説が挙げられては否定される過程を繰り返すもので、多重解決ミステリとも言われる。この作風はセイヤーズにも影響を与え、それは例えば『五匹の赤い鰊』や『死体をどうぞ』らに顕著である。また、バークリー名義の作品に登場する探偵ロジャー・シェリンガムの瓢々とした性格や、作品全体に漂うユーモアはピーター卿シリーズにも共通するものである。ともに、P・G・ウッドハウスのジーヴス・シリーズの影響が濃厚である。そのほか、ミステリを斜めに見る傾向、一種のメタ・ミステリ的性格の作品を遺している点など、両者には共通点も多い。
       一方、1933年3月のハロルド・ベル宛ての書簡の中で、ホームズもののパロディを書くという文脈において、セイヤーズはバークリーはホームズもののパロディを書くには"rough"すぎる、としている。(Letters Volume 1, P.332.)
       フランシス・アイルズ名義の『殺意』(Malice Aforethought, 1931)らは、トリックよりも犯罪を犯す心理に注目した作品で、より純文学に近い。人物描写に力を注いだ点においてもセイヤーズとバークリーは共通している。
       セイヤーズらが設立したミステリ作家の親睦団体ディテクション・クラブにおいてはバークリーは名誉主席会員に選ばれている。奇人といってよいバークリーは他の作家と積極的に交流するような人物ではなかったようだが、セイヤーズへの影響も無視できない。

  • E・C・R・ロラック
    •  本名エディス・キャロライン・リベット(Edith Caroline Rivett)。1894~1958年。イギリスの女性ミステリ作家。E・C・R・ロラックやキャロル・カーナック(Carol Carnac)というペンネイムで作品を発表した。その著作集は70を越える多作家である。そのうち、ロンドン警視庁のロバート・マクドナルドを主人公とした作品は40を越える代表的シリーズ。翻訳作品としては『鐘楼の蝙蝠』(Bats in the Belfry, 1937)、『ジョン・ブラウンの死体』(John Brown's Body, 1938)、『悪魔と警視庁』(The Devil and the C.I.D, 1938)などがある。セイヤーズよりもクリスティに近い、本格的な謎解きミステリを得意とした。
       セイヤーズも参加しているリレー小説『弔花はご辞退』に参加し、セイヤーズが執筆した1,2章を継いで3,4章を担当している。

  • ミルワード・ケネディ
    •  ミルワード・ロドン・ケネディ・バージ(Milward Rodon Kennedy Burge)。1894~1968年。イギリスのジャーナリスト、文芸評論家、ミステリ作家。20冊の長編ミステリをのこした。オックスフォードで学び、第一次大戦中はイギリスのスパイとして活躍した。ディテクション・クラブのメンバーで、他のメンバーたちと『漂う提督』や『警察官に聞け』といったリレー小説を合作している。代表作としては『救いの死』(Death to the Rescue, 1931)がある。他にスパイとしての経験を活かしたスパイもの、警察の日常的な活動を描いた警察小説などがある。
       ケネディはディテクション・クラブでセイヤーズと交流があった。『救いの死』には切符にまつわるトリックについて、セイヤーズのような現代の推理小説を読んだことのない警察が切符のトリックを見抜けないのも無理もない、という記述がある。(『救いの死』横山啓明訳、国書刊行会、P.202.) これは『五匹の赤い鰊』にある切符のトリックのことを指している。また、1933年3月のハロルド・ベル宛ての手紙において、セイヤーズはケネディのことを大きな魅力のある人物で、エネルギッシュで親しみやすく、ウィットがあり、良い英語を書く、と述べている。(Letters Volume 1, P.332.)
       セイヤーズが選んだアンソロジーTales of Detectives (1936)にケネディの短編が選ばれている。また、ディテクティヴ・クラブの作家たちによる連作小説『漂う提督』、『警察官に聞け』にケネディも参加している。なお、セイヤーズがケネディをどう評価していたかについては、邦訳『救いの死』の真田啓介氏による解説に詳しい。

  • ミュリエル・セント・クレア・バーン
    •  Muriel St Clare Byrne. 1895~1983年。イギリスの歴史研究家。セイヤーズと同じオックスフォードのサマーヴィル・コレッジで学び、学生時代からセイヤーズの友人だった。セイヤーズの2年後の1917年に大学を卒業。テューダー朝の研究で知られ、とりわけヘンリー8世の研究に力を入れた。15年間にわたる彼女のテューダー朝時代の研究は、6巻本のThe Lisle Papersに結実した。また、彼女は演劇にも関心を抱き、Royal Academy of Dramatic Artでの講演を行い、さらにはロイヤル・シェイクスピア・シアターの理事に就任している。こうした仕事が後のセイヤーズとの演劇での仕事につながった。
       セイヤーズを演劇に向かわせたのはバーンだったという。したがって、セイヤーズの後期のキャリアにおいてバーンの果たした役割はひじょうに大きい。『大忙しの蜜月旅行』をセイヤーズとともに劇化した。ウィルフリッド・スコット・ジャイルズ(Wilfrid Scott-Giles)のThe Wimsey Familyにも協力している。
       セイヤーズは自身の詩'The Zodiack'(彼女の詩としては最も長いものの一つ)をバーンに贈っている。

  • レイモンド・ポストゲイト
    • ポストゲイト

       レイモンド・ウィリアム・ポストゲイト(Raymond William Postgate)1896~1971年。イギリスの小説家、ジャーナリスト、社会学者。オックスフォードで学ぶ。共産主義者であり、様々な左翼系新聞や『デイリー・メイル』などの編集を務めた。数編の長編ミステリを執筆しており、『十二人の評決』(Verdict of Twelve,1940)がその代表作である。
       レイモンドの姉は、コール夫妻としてミステリを発表していたマーガレット・コールである。ポストゲイトは義兄にあたるコールと共著で経済評論も出版している。

  • ヘレン・シンプソン
    •  ヘレン・ド・ゲリー・シンプソン(Helen de Guerry Simpson)。1897~1940年。オーストラリア生まれの小説家。オックスフォードで学ぶ。ディテクション・クラブの準会員。ディテクション・クラブについては不明なことも多いが、1931年、シンプソンはセイヤーズが提案した「儀式」を経て入会したらしい。俳優探偵サー・ジョン・ソマレズもので人気を博した。
       ディテクション・クラブの会員の劇作家クレメンス・デインとともにシンプソンは演劇界を舞台とした『サー・ジョン登場』(Enter Sir John)を合作している。これはアルフレッド・ヒッチコックの映画『殺人!』の原作となる。また、シンプソンの短編「理想の男性」('Mr. Right')はセイヤーズの『毒を喰らわば』に影響を与えているという指摘もある。(エドワーズ、P.208.)
       さらには、ディテクション・クラブによるリレー小説『漂う提督』、『警察官に聞け』にも参加している。同じくディテクション・クラブのメンバーによる実際に起きた犯罪を論じたThe Anatomy of Murder (1937)の編集も手掛けている。
       シンプソンは癌のため、1940年に42歳の若さで亡くなっている。セイヤーズの『大忙しの蜜月旅行』はシンプソンに捧げられている。

  • C.S. ルイス
    •  クライブ・ステープルス・ルイス(Clive Staples Lewis)。 1898~1963年。アイルランド生まれのイギリス作家。中世研究者でキリスト教擁護者でもある。『ライオンと魔女』(The Lion, the Witch, and the Wardrobe)に始まるファンタジー小説『ナルニア国物語』シリーズ(The Chronicle of Narnia,1950~1956)で知られる。
       幼い頃からジョージ・マクドナルドの幻想小説や各地の神話に触れ、想像力を育んだ。オックスフォード大学で学び、第一次大戦に従軍する。後にケンブリッジ大学で教授を務める。一度信仰を失うが、後にキリスト教(イギリス国教会)を強く信奉するようになる。
       ルイスはセイヤーズの友人で、彼らの交流はセイヤーズがルイスに手紙を送ったことから始まった。その手紙は計画中であったBridgeheadsという同時代の問題を扱う企画への寄稿の依頼で、セイヤーズはルイスに愛と結婚について書くように依頼している。その後、オックスフォードで二人は食事をし、関係を深めていった。お互いを'Deat Jack'、'Dear Dorothy'と親しく呼びあい、セイヤーズはルイスに会うために頻繁にオックスフォードを訪れるようになった。二人は作家として互いに励ましあったという。
       キリスト教擁護者として二人は共通している。ルイスにはキリスト教関連の著作も多い。The Pilgrim's Regress (1935)その他の作品で、人間の魂に対する地獄からの攻撃について書いているが、セイヤーズはこうしたルイスの作品を称賛していた。ルイス、トールキン、ウィリアムズ、そしてセイヤーズは共通して悪を描き、その悪が正義によって打倒される様を描いた。一方、ルイスもセイヤーズの宗教劇The Man Born to be Kingを称賛している。ルイスはダンテについて、"in its simplest terms ...a picture made out of wods"と述べたとセイヤーズは書いている。(Introductory Papers on Dante.)また、同じく宗教系の作品として『痛みの問題』(The Problem of Pain, 1940)を遺している。
       ただ、セイヤーズによるダンテの『神曲』の英訳が出た際、セイヤーズの韻律の使い方について、まるでダンテがロバート・ブラウニングのように思われるとして、その翻訳に疑問を投げかけている。

  • アントニー・ギルバート
    •  Anthony Gilbert. 1899~1973年。イギリスの女性ミステリ作家。本名ルーシー・ベアトリス・マレスン。(Lucy Beatrice Malleson)。代表作に『薪小屋の秘密』(Something Nasty in the Woodshed, 1942)などがある。依頼者はすべて無罪であると考える弁護士アーサー・G・クルックを主人公としたシリーズで知られる。また、Ann Meredithという別名義でも作品を発表している。翻訳に『灯火管制』(Death in the Blackout, 1942)や『つきまとう死』(And Death Came Too, 1956)などがある。
       男性名をペンネイムとして使っており、彼女が活動している当時は、男性作家と考える人も多かったようだ。
       セイヤーズも参加しているリレー小説(中編程度の長さだが)『弔花はご辞退』にギルバートも参加しており、7章と8章を担当している。

  • シリル・ヘアー
    • Hare

       Cyril Hare。1900~1958年。イギリスのミステリ作家。オックスフォード大学卒。弁護士、判事として活躍する傍ら、ミステリも執筆した。代表作に『自殺じゃない』(Suicide Excepted, 1939)、『法の悲劇』(Tragedy at Law, 1942)、『英国風の殺人』(An English Murder, 1951)、『いつ死んだのか』(Untimely Death, 1958)などがある。法律家としての専門知識を活かしたミステリが多いことが特徴と言える。近年、日本でも翻訳が進んでいる。
       セイヤーズも参加していたディテクション・クラブにも参加していた。セイヤーズの葬儀においてはヘアーは弔辞を述べている。

  • グラディス・ミッチェル
    • グラディス・ミッチェル

       Gladys Maude Winifred Mitchell。1901~1983年。イギリスの女性ミステリ作家。本職は教師で、同時にミステリを執筆した。ブラッドリー夫人を探偵役としたシリーズで知られる。これはクリスティのミス・マープルと並ぶおばあちゃん探偵である。フロイト心理学に基づいた心理的推理が特徴である。
       1929年にSpeedy Deathでデビュー。代表作に『トム・ブラウンの死体』(Tom Brown's Body, 1949)、『ソルトマーシュの殺人』(The Saltmarsh Murders, 1932 )などがある。日本では無名であったが、近年、翻訳されるようになってきている。イギリスではクリスティ、セイヤーズと並んで女性ミステリ作家のビッグ3と考えられたこともある。
       ディテクション・クラブに早い段階から加入し、クラブの企画でセイヤーズも参加しているリレー小説『警察官に聞け』、中編リレー小説『弔花はご辞退』にミッチェルも参加している。後者では5、6章を担当している。

  • ドロシー・ヴァイオレット・ボワーズ
    •  Dorothy Violet Bowers。1902~1948年。イギリスのミステリ作家。オックスフォードで学ぶ。その作風から「もう一人のドロシー」と呼ばれ、セイヤーズと比較されることもある。代表作に『アバドンの水晶』(Fear for Miss Betony, 1941)などがある。邦訳は他に『命取りの追伸』(Postscript to Poison, 1938)などがある。ミステリにおけるフェアプレイを重視した作家と言われ、この点においてセイヤーズと似ている。
       ディテクション・クラブの会員に選出されるものの、その直後に結核で死去。クラブのメンバーと深く関わることはなかった。近年再評価が進み、日本ではまったく知られていなかったが、近年代表作が翻訳されつつある。

  • マージェリー・アリンガム
    • アリンガム

       マージェリー・ルイーズ・アリンガム(Margery Louis Allingham)。1904~1966年。イギリスのミステリ作家。両親も作家であった。セイヤーズ、アガサ・クリスティと並んでイギリスの3大女性ミステリ作家(ナイオ・マーシュを加えて4大作家とする場合もある)と評されることもある。アルバート・キャンピオン(Albert Campion)を主人公とするシリーズが有名である。代表作に『ファラデー家の殺人』(Police at the Funeral, 1931)、『幽霊の死』(Death of a Ghost, 1934)、『判事への花束』(Flowers for the Judge, 1934)、『屍衣の流行』(Shrouds in Fashion, 1938)、『霧の中の虎』(The Tiger in the Smoke, 1952)などがある。日本での知名度はそれほどでもない(日本でも近年、未訳作品が続々と翻訳された)が、イギリスでは今日でも絶大の人気を誇る。ミステリのほか、冒険小説、風俗小説、サスペンス小説など、多岐にわたる作品をのこした。
       アリンガムはディテクション・クラブのメンバーでセイヤーズとも交友があった。キャンピオンはウッドハウスのジーヴズ・シリーズに登場するバーティ・ウースターの影響を受けて創造されたと思われる。ピーター卿もまたウースターの影響を受けていると思われ、結果キャンピオンとピーターには類似点が多い。
       また、セイヤーズと同様にアリンガムもキャリアの後半は謎解き入りも物語性や人物描写に重きをおく作風へと変わっていった。セイヤーズ同様、アリンガムもその文学性を高く評価されている。

  • ジョン・ベチェマン
    • Sir_John_Betjeman

       John Betjeman。1906~1984年。イギリスの詩人。オックスフォード大学で学び、W・H・オーデンらと知り合う。ジャーナリストとして活躍する一方、詩作にも手を染めた。彼の詩は人気を博し、後に桂冠詩人に任命された。詩集にMount Zion (1931)、Old Bats in the Belfry (1945)などがある。
       ベチェマンはセイヤーズと手紙のやり取りをしていて、詩人としてセイヤーズの詩にアドバイスをしている。

  • ジョン・ディクスン・カー
    • Dickson Carr

       John Dickson Carr. 1906~1977年。アメリカ生まれのミステリ作家。カーター・ディクスン(Carter Dickson)名義、その他の名義でも多くの作品を発表している。初期はフランスを、それ以降はほとんどの作品において事件の舞台をイギリスにしている。代表作に『帽子収集狂事件』(The Mad Hatter Mystery, 1933)、『三つの棺』(The Three Coffins, 1935)、『火刑法廷』(The Burning Court, 1937)、『ユダの窓』(The Judas Window, 1938)などがある。ほとんどの作品において、密室殺人やそれに類する不可能犯罪を扱っている。多くの作品が邦訳されており、日本での人気も高く、江戸川乱歩や横溝正史といった日本のミステリ作家もカーをリスペクトしている。
       1933年9月24日の『サンデー・タイムズ』誌に掲載されたカーの『帽子収集狂事件』の書評で、セイヤーズは賛辞を送っている。カーはこのセイヤーズによる書評を大変喜んだ。(ダグラス・G・グリーン『ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く男』P.156.)カーはセイヤーズの評価のおかげで作家としての地位を確立できたとも述べている。トリック中心のカーの作品とセイヤーズの作品に共通点は少ないように思えるが、二人は互いを評価しあっていた。カーがイギリスで本を出版する際、セイヤーズが編集者を紹介している。
       1954年、セイヤーズはピーター卿もののテレビ・シリーズの仕事を依頼されたが、彼女はカーの協力なしには要求されたような脚本は書けない、と答えた。カーはラジオのミステリ・ドラマの名作をいくつか遺しているが、この点においてもセイヤーズはカーの能力を評価していた。
       カーはホームズものに取材した劇『フランス大使のズボン』(The French Ambassador's Trousers)を執筆している。カー自身はフランス大使を演じ、ホームズはシリル・ヘアー、ワトソンはジョン・ロード、ハドソン夫人はセイヤーズが演じている。
       なお、セイヤーズがピーター卿シリーズ後半でピーターとハリエットの恋愛に重心を移していったことについてカーは否定的にとらえていたのかもしれない。エッセイ「地上最高のゲーム」において、「人物描写や、ウィムズイとハリエットとの恋愛の成就といったものに、目を曇らされてはいけない。要は、最初から最後まで、プロット、プロット、プロットありきなのである」(森英俊訳)と述べている。

  • クリストファー・セント・ジョン・スプリッグ
    •  Christopher St. John Sprigg。1907~1937年。イギリスのミステリ作家。新聞記者などをへて、処女長編を26歳で出版した。マルクス主義に傾倒し、共産党に入党。スペイン内戦に参加し、そこで戦死した。4年ほどの作家としての活動期間に7編の長編と短編数編を遺した。邦訳としては遺作となった『六つの奇妙なもの』(The Six Queer Things, 1937)がある。シリーズ探偵としてチャールズ・ヴェナブルズがおり、4つの長編で探偵役を務めている。
       セイヤーズはスプリッグの作品を激賞したとされる。

  • クリスチアナ・ブランド
    • ブランド

       Christianna Brand。1907~1988年。本名はメアリー・クリスチアナ・ルイス(Mary Chrisitianna Lewis)。イギリスの女性ミステリ作家。代表作に『緑は危険』(Green for Danger, 1944)、『ジェゼベルの死』(Death of Jezebel, 1948)、『疑惑の霧』(London Particular, 1952)などがある。短編「ジェミニ―・クリケット事件」は20世紀最高の短編ミステリの一つとも言われている。黄金時代を代表するミステリ作家で、本格ものを執筆したほか、児童向けの作品も執筆している。彼女の児童文学『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』は映画化されている。トリックを駆使した作風で、セイヤーズよりはクリスティに近い作風である。クリスティ、セイヤーズ同様、ミステリの女王的存在である。
       セイヤーズも参加しているリレー小説『弔花はご辞退』に参加し、9、10、11章(最終章)を担当している。

  • バーバラ・レイノルズ
    •  エヴァ・マリア・バーバラ・レイノルズ(Eva Maria Barbara Reynolds)。1914~2015年。イギリスのイタリア研究家、翻訳家。セイヤーズはバーバラ・レイノルズの名付け親である。後にセイヤーズの友人となり、11年間に渡って交流した。二人は手紙のやりとりをしていたが、その内容は主としてダンテにまつわるものであった。セイヤーズの死後、レイノルズはセイヤーズの伝記を執筆し、研究書を執筆し、さらにはセイヤーズの書簡集を編纂している。セイヤーズ研究に多大な貢献をなした女性である。 セイヤーズ協会の会長も務めている。さらには、セイヤーズの『神曲 天国篇』は彼女の死によって未完に終わったが、これを完成させたのもレイノルズである。ペンギン版の『神曲 天国篇』にはレイノルズによる長文のイントロダクションが付されているが、ここでアレゴリーについて、ベアトリーチェについてなど、詳しく『天国篇』を解説している。Geoffrey Lee, Andrew Lewis, Geoffrey Edwardsらが翻訳にあたりレイノルズにアドバイスしている。
       1946年8月、セイヤーズがケンブリッジ大学のJesus Collegeで『地獄篇』26章について講演した際、レイノルズはそれに出席している。これがレイノルズがダンテに関心を抱くきっかけであった。さらに、レイノルズはダンテの『新生』の英訳も手掛けている。
       セイヤーズの伝記Dorothy L. Sayers: Her Life and Soulを執筆したほか、セイヤーズの書簡集の編纂、詩集の編纂も手掛けている。生前、セイヤーズは手紙を出版されたり、プライヴェートなことを調査されるのを嫌っていたが、レイノルズはセイヤーズをより深く理解するためには必要だと述べて、書簡集を発表し、伝記を執筆する理由を述べている。レイノルズの仕事はセイヤーズ研究において欠かせない重要なものである。
       イタリア語の研究者としては、Cambridge Italian Dictionaryの編纂を務めている。レイノルズはイタリア政府からイタリア文化普及の功績からメダルを送られている。
       様々なところでレイノルズはセイヤーズの作品について述べている。例えば、セイヤーズはミステリにおいても、詩においても、形(form)に拘った作家であると述べている。

  • P.D ジェイムズ
    • P.D. James

       フィリス・ドロシー・ジェイムズ(Phyllis Dorothy James) 1920~2014年。イギリスのミステリ作家。ケンブリッジ女子高校を卒業し、第二次大戦中は赤十字の看護師として働いた。代表作に『ナイチンゲール屍衣』(Shroud for a Nightingale, 1971)、『黒い塔』(The Black Tower, 1975)、『皮膚の下の頭蓋骨』(The Skull Beneath the Skin, 1982)などがある。英国推理作家協会賞を数多く受賞するなど、近年のイギリスを代表するミステリ作家と言える。同時にどちらかと言えば純文学作家とも呼ばれる作家性の高い作家である。
       ジェイムズの『不自然な死体』(Unnatural Causes, 1967)が、明らかにそのタイトルをセイヤーズの『不自然な死』から取られていることからもわかるように、ジェイムズはセイヤーズの影響を強く受けている。また、『不自然な死体』のラストの洪水のシーンは、『ナイン・テイラーズ』におけるそれを意識していると考えられる。ジェイムズはミステリも単なるパズル・ストーリーではなく、文学として評価されるものでなければならないと考え、その意味でセイヤーズの後継者と言える。セイヤーズを評価する半面、ジェイムズはクリスティのことはあまり好きではなかったようだ。
       ジェイムズはセイヤーズについて次のように述べている。"It is a safe assumption that any aficionado of the classical detective story, asked to name the six best writers in the genre, would include her (Sayers') name." また、次のようにも述べている。"She (Sayers) brought to the detective novel originality, intelligence, energy and wit." さらには、「青春時代に、ドロシー・L・セイヤーズを最初に楽しみ、それから影響を受けたわたしたちは、…今でも郷愁以上の気持ちで彼女の作品を読む」と述べている。(キャロリン・G・ハイルブラン、大社淑子訳『ハムレットの母親』359ページ)
       バーバラ・レイノルズ編のセイヤーズの書簡集にジェイムズは序文を寄せている。

2. その他

  • パーシヴァル・リー(Percival Leigh)
    •  イギリスの作家。『コミック英文典』(The Comic English Grammar)、『コミック・ラテン文典』(The Comic Latin Grammar)などのパロディ・シリーズをのこしている。風刺雑誌『パンチ』に創刊時から参加している。
       ヘレン・メアリ・リーはこのパーシヴァルの姪であり、その娘がドロシー・リー・セイヤーズである。
       セイヤーズはこのパーシヴァル・リーの子孫であることを誇りとしており、ドロシー・セイヤーズとLを省略して呼ばれることを嫌った。

  • ジョン・コ―ノス(John Cournus)
    •  1881年、ロシア(キエフ)生まれのユダヤ人で、母語はイディッシュ語である。ジョンが10歳のとき、一家はアメリカに移住し、ジョンはフィラデルフィアの学校に通う。同時に新聞配達を手伝うなど、ジョンは仕事もして家計を助けた。後にジョンはPhiladeliphia RecordのMr. Singerleyと知り合い、ジャーナリズムの世界と関わるようになる。1912年、ジョンはイギリスにわたり、小説家、劇作家、翻訳家、ジャーナリストとして活躍する。
       コーノスは自由恋愛主義者で、セイヤーズと恋愛関係になる。しかし、結婚は叶わなかった。コーノスはシビル・ノートンというミステリ作家と結婚した。
       セイヤーズの書簡集1巻には1924年頃にコーノス宛てに書かれた手紙がいくつか収録されている。例えば、1925年1月の手紙ではコーノスを激しく非難している。
       セイヤーズは『毒を喰らわば』にコーノスとの関係を書き込んだと言われている。つまり、ハリエット・ヴェインとフィリップ・ボーイズの関係が二人の関係を反映しているとされる。ボーイズが説く自由恋愛の思想はコーノスに由来すると考えられる。コーノスは『悪魔は英国紳士』(The Devil is an English Gentleman)で報復した。
       コーノスとの恋愛と別れはセイヤーズに深い傷を与えたらしい。エドワーズはピーター卿シリーズの最初の5冊において自殺がプロットの重要な要素になっているとし、これをセイヤーズ自身の自殺願望と関連付けている。

  • エリック・ジョージ・ウェルプトン(Eric George Whelpton)
    •  1894~1981年。イギリスの作家、教師、旅行家。パリ生まれ。オックスフォード大学で学ぶが、第一次大戦に従軍したことで彼の教育は中断された。自伝The Making of a Europeanなどの著作がある。
       ウェルプトンは第一次大戦で神経を病み、悪夢に悩まされるようになる。セイヤーズの友人だったドリーン・ウォーレス(Doreen Wallace)という女子学生の仲介で、セイヤーズとウェルプトンは出会う。彼は背が高くハンサムな男で、女性によくもてたという。セイヤーズは一目で彼に恋したという。しかし、ウェルプトンは学識の高い女性に興味はなく、セイヤーズの気持ちに答える気はなかった。1919年、南フランスの学校で職を得たウェルプトンはセイヤーズに助手として同行することを求め、二人はフランスに赴いた。しかし、セイヤーズは父親によってイギリスに呼び戻された。
       セイヤーズの方が一歳年上で、セイヤーズのウェルプトンへの態度は保護者あるいは母親のようなものであった、とウェルプトン自身が自伝で述べている。同じくウェルプトン自身によれば、才能においてもセイヤーズの方が上で、彼はセイヤーズから学んだという。
       戦争の後遺症に苦しむウェルプトンはピーター卿のモデルの一人と言われている。また、ウェルプトンは健忘症を患っていたが、これは『ベローナクラブの不愉快な事件』のジョージ・フェンティマンの造形に影響を与えている。
       セイヤーズはミステリの執筆においてウェルプトンの協力を求めたらしい。1976年のインタヴューで、ウェルプトンは次のように答えている。

       She (Sayers) asked me to go into partnership with her in writing crime books, as she and several of her friends were deliberately setting about to create a vogue for detective novels. I refused because I have no liking for that sort of things. (Hall, P. 42) 

  • ウィリアム・ホワイト(William White)
    •  通称ビル(Bill)・ホワイト。コーノスと別れ、傷心のセイヤーズが1922年に出会った男性。彼は車のセールスマンでエンジニアでもあった。ひじょうに男性的な人であったようで、身体的に強い男性だったが、文学には興味はなく、知的でもなかった。セイヤーズが彼に魅かれたのは不可解だが、恋愛関係にあったというよりも、肉体的に魅力を感じたようだ。ホワイトは結婚しており子供もいたが、そのことはセイヤーズの妊娠が発覚するまでセイヤーズには伏せられていた。セイヤーズとビルは1924年1月3日に私生児ジョン・アントニーをもうける。

  • オズワルド・アサ―トン・フレミング(Oswald Atherton Fleming)
    •  通称マック(Mac)。セイヤーズとは1925年に知り合ったが、詳細はわかっていない。1926 年にセイヤーズと結婚した。
       1881年生まれ。マックは離婚歴があり、2人の娘がいた。ボーア戦争では特派員として活躍し、第一次世界大戦では従軍し、負傷した。1919年にはHow to See the Battlefieldという短い本を出版した。さらに彼は写真家、画家でもあり、料理の専門家でもあった。1926年3月の手紙で、セイヤーズはマックについて食べ物のオーソリティだと述べている。(Letters Volume 1, P.244.)セイヤーズがベンソン社のコピーライターとしてマスタード・クラブ(Mustard Club)のレシピ本の仕事に関わったとき、マックの料理の知識が活かされた。Reynoldsの伝記には二人の家のキッチンについての詳しい解説がある。(165ページあたり)当初、二人の生活は幸福なものであったようだ。
       他にもマックはセイヤーズのアンソロジー編纂に力を貸したり、セイヤーズの本出版に際してはエージェントのような役割を果たしたり、様々な新聞にセイヤーズの新作の予告を書いてりしてセイヤーズを支えた。
       1920年代後半になると、マックは健康を害しがちになり、これがセイヤーズを悩ませるようになった。マックはしばしば癇癪を起したという。

  • アイヴィ・シュリンプトン(Ivy Shrimpton)
    •  セイヤーズのいとこで、セイヤーズよりも8歳年上。母親はセイヤーズの母の姉妹であるAmy Shrimptonで、セイヤーズのおばにあたる。アイヴィはカリフォルニアで育った。イングランドに移住してからはセイヤーズ家を頻繁に訪れ、セイヤーズとの間に友情をはぐくんだ。セイヤーズが両親にも秘密に私生児の息子ジョンを産んだときは、ジョンを引き取り、養育した。セイヤーズとの間には堅固な信頼があったと思われる。Duriezはアイヴィーの母親のように面倒見のよい性格はドロシーに影響下だろうと述べている。(Duriez, P.43.)アイヴィは詩にも関心があり、この点もセイヤーズと共通していた。セイヤーズの詩の第一の読者はアイヴィであった。セイヤーズはたびたびシュリンプトンに手紙を書いている。

  • ヴィクター・ゴランツ(Victor Gollancz)
    •  1893~1967年。ロンドン生まれのユダヤ人。オックスフォードで学び、教師なるというセイヤーズと似た経歴をもつ。第一大戦に従軍後、出版業界に入り、1927年にゴランツ社を設立する。ジョージ・オーウェルやフォード・マドックス・フォードらの本を出版する。セイヤーズとも知り合いで、彼女にミステリの執筆を持ち掛ける。1930年のピーター卿シリーズ第5作『毒を喰らわば』をゴランツ社から出版し、以後セイヤーズの本を出版し続ける。他にもセイヤーズが関わったアンソロジーGreat Short Stories of Detectionの出版も手掛けた。伝記作者バーバラ・レイノルズはセイヤーズにウィルキー・コリンズの伝記を書くように勧めたのはゴランツではないかと推測している。(Reynolds, P.196.)
       ただ、セイヤーズの作品中に反ユダヤ主義的な要素を読み取った読者からゴランツ社へ抗議の手紙が届くようになった。『ゴランツ書店』の著者シーラ・ホッジスによれば、その後二人の関係は遠慮がちなものになったという。(P.197~198)
       ゴランツは自社の本を売るために、新聞に公告をのせたが、これは当時としては画期的なことであったという。セイヤーズとも彼女が広告会社で働いていた時に出会っており、セイヤーズが広告をテーマとした作品を発表していることを考え合わせると興味深い。

  • アルフレッド・マクレランド・バレイジ(Alfred McLelland Burrage)
    •  1889~1956年。イギリスの作家。フランク・レランド(Frank Leland)のペンネームで作品を発表した。他にEx-Private Xという名義を使った。ゴースト・ストーリーで知られ、様々なアンソロジーにバレイジの作品は選出されている。
       セイヤーズがヴィクター・ゴランツのために編集で働いていたとき、セイヤーズが担当したのがバラージであった。バラージはセイヤーズの夫と知り合いで、セイヤーズとも手紙のやり取りをしていた。

  • キャロリン・G・ハイルブラン
    •  1926~2003年。アメリカ・コロンビア大学の研究者。フェミニスト研究家。1957年に初の論文集『ハムレットの母親』を出版して以来、フェミニズム研究の旗手の一人として活躍した。
       イギリスのミステリの愛好家で、特にP・D・ジェイムズとジョン・ル・カレのファンであることを認めている。エッセイ「風俗推理小説」では、ル・カレについて詳しく論じている。このエッセイでは、推理小説が通俗的であるという批評家からの攻撃を、セイヤーズは一身に受けたと述べている。
       オックスフォード大学、サマーヴィル・コレッジで開催された『学寮祭の夜』出版50年記念のイベントの際、この小説について講演している。他に、ハリエット・ヴェインに関する論文(「オックスフォードのセイヤーズ、ピーター卿、ハリエット・ヴェイン」)と、「セイヤーズ、ピーター卿、神」、「ドロシー・セイヤーズ 行間の伝記」という2つの論文を書いている。最初の論文では、オックスフォードでの生活はセイヤーズにとって完璧なものであったとし、オックスフォードに対するセイヤーズの愛情がはっきり示されていると述べている。他に「風俗推理小説」、「ジェンダーと推理小説」といったエッセイをのこしている。

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