登場人物
登場人物
このページではセイヤーズの作品に登場する登場人物たちを紹介します。
1.ピーター・ウィムズイ卿シリーズの登場人物
- ピーター・ウィムジイ卿 (Lord Peter Wimsey)
セイヤーズが生みだした最も有名な人物で、11の長編、その他の短編に登場する。ミステリ黄金時代を代表する名探偵の一人。本名はピーター・デス・ブリードン・ウィムズイ卿(Lord Peter Death Bredon Wimsey)。なお、Deathの発音は「ディース」であるが、『殺人は広告する』ではピーター自身が好きなように発音して構わないと述べている。
ピーターについては細かな設定が行われている。1890年、第15代デンヴァー公爵モーティマー・ウィムジイとフランス系ハンプシャー州べリンガム荘園のフランシス・デラガルディの娘、ホノリア・ルカスタ・デラガルディの次男として生まれる。長男ジェラルドは爵位を継いで第16代デンヴァー公となる。ジェラルドはヘレンという女性と結婚し、セント・ジョージという息子をもうけている。
ピーターには兄のほかに妹にメアリがいる。長編第2作『雲なす証言』では、メアリの婚約者が殺害され、ジェラルドが容疑者となる。メアリはのちにピーターの友人でロンドン警視庁の警部チャールズ・パーカーと結婚する。ピーターは父親とはそりが合わなかった。なお、父はピーターが大学在学中に狩りの最中の事故で首の骨を折って死亡している。
『学寮祭の夜』にセイヤーズの伯父ポール・オースティン・デラガルディから寄せられたとするピーター卿の小伝が付せられている。これによれば、ピーターは子供の頃は小柄で顔色も悪く、落ち着きがなく悪戯好きであった。イートン校で学ぶが、学校ではピーターは「へなへな」(flimsy)と呼ばれ、1909年にはオックスフォード大学のベイリオル・カレッジに進学する。スポーツが得意で特に馬乗りやクリケットに優れていた。さらには危険をあえて冒すメンタルの持ち主であり、音楽や書物に強い関心を示すようになる。後に古書収集をはじめ、作品中でも古書への言及が多い。
大学では歴史を学んでいる。大学の最終年には17歳の少女との恋愛も経験。ピーターは結婚を望んだが、第一次世界大戦が勃発し、ピーターはフランスへ出征する。その間に少女は結婚しており、ピーターは戦場で戦死することを望むようになる。1918年、ピーターは砲弾を受けて生き埋めになり、重い神経衰弱に悩まされることになる。笠井潔氏は、自身の「大量死」理論に説明において、大戦間の時代に本格ミステリが隆盛したことについて、第一次大戦における大量死を隠すためだという説を述べている。そこで、戦争帰りでシェル・ショックに苦しむピーター卿に言及している。
その後、軍隊で部下だったマーヴィン・バンターを執事として雇い、ピカデリー110Aで暮らし始める。1921年、アッテンべリ家でエメラルド盗難事件が発生し、ピーターは検察側の第一証人として出廷し証言。これを機にピーターは「貴族探偵」として有名になる。また、この過程でチャールズ・バンカー警部との知遇を得ている。
ピーター卿は身長5フィート9インチ。後期の作品では6フィートになっている。グレーの目に垂れ下がったまぶた。大きな鼻。髪は金髪といった風貌。ステッキを持ち歩き、片眼鏡をしているが、この設定はシャーロック・ホームズ直系の名探偵の典型と言える。貴族だけに美食家でワイン通。食事の後は必ずコーヒーを飲む。また、ピーターはスポーツマンでもあり、この点もホームズと共通している。古書収集が趣味で、『誰の死体?』の冒頭では、ピーターがキャクストン版のダンテの本その他の古書を求めている様が描かれている。また、セイヤーズが詩人であったことを反映して、ピーター卿にも詩人的側面があると指摘している。
ウィムズイという名前は父の牧師就任に伴い一家で引っ越したクライストチャーチを流れる川の名前に由来する。なお、紋章学者C.W.スコット・ジャイルズのThe Wimsey Familyは、セイヤーズの協力を得て執筆されたものだが、ウイムズイ家のルーツを探る作品である。
ジェンダー研究の視点から、戦争の後遺症に苦しむピーターをこの時代の文学その他の芸術に頻出した「女性化された男性」ととらえる読みがある。(この点については『ストロング・ポイズン』巻末の訳者大西氏による「訳者解題」に詳しい。大西氏によれば、『ストロング・ポイズン』は男性的イデオロギーに支えられた探偵小説にとって「猛毒」となる作品であるという。)
H・ダグラス・トムソンはピーターの特異な点として、他の探偵が自身の探偵能力を示すことに力を費やすのに対し、ピーターはそれを隠そうとしていることに注目している。(H. Douglas Thomson, Masters of Mystery: A Study of the Detective Story, P. 245.) 同じくトムソンはピーター卿について、フィリップ・マクドナルドが創造した探偵、アントニー・ゲスリンとヴァン・ダインが創造した探偵、ファイロ・ヴァンスと関係していると述べている。(P. 254.) あるいはウッドハウスの創造したジーヴス・シリーズのバーティ―・ウースターの影響もあるであろう。
- マーヴィン・バンター (Mervyn Bunter)
ピーター卿の執事。第一次大戦従軍中、ピーターの下で軍曹として働いていた。シリーズの、とりわけ初期作品で、活躍する。
ピーター卿とバンターの関係は、P・G・ウッドハウスのジーヴス・シリーズにおけるバーティ・ウースターと執事のジーヴスの関係を反映しているとセイヤーズ自身が求めている。ピーター卿は食後のコーヒーを欠かさないが、バンターはコーヒーをいれる名手である。バンターは「紳士の中の紳士」であり、コーヒーの他にもアルコール類の知識が豊富で、料理も得意。執事としての振る舞いも完璧である。
ミステリにおける機能としては、バンターはピーター卿に対するワトソン役と想像されるが、実際は必ずしもそうではない。バンターはあくまでピーター卿の忠実な従僕であって、ホームズとワトソンの間にある友情はない。ただし、写真術に関する知識を有しており、その点においてピーターの捜査をサポートすることもある。イギリス人らしい皮肉を口にすることもあり、ピーターの推理に助言したりもしている。
伝記作者バーバラ・レイノルズによれば、セイヤーズのオックスフォード大学の知人、チャールズ・クライトン(Charles Crichton)がバンターのモデルであるという。(Reynolds, P.92.)セイヤーズとクライトンはお互いを嫌っていたようだが、クライトンは上流階級の事情に詳しく、セイヤーズは彼との会話から多くを学んだ。
- ハリエット・デボラ・ヴェイン(Harriet Deborah Vane)
シリーズ第5作『毒を喰らわば』で初登場し、この作品で早くもピーター卿の求婚を受ける。本作でハリエットは恋人毒殺の容疑をかけられ、裁判にかけられる。彼女の無実の信じるピーターが真相解明にのりだす。
次にハリエットが登場するのは第7作『死体をどうぞ』で、冒頭で海辺の死体の第一発見者になる。第10作『学寮祭の夜』ではハリエットが物語の中心となり、事実上の主人公となる。ハリエットは母校オックスフォード大学の学寮祭での怪文書の問題に巻き込まれる。そしてシリーズ最終作『大忙しの蜜月旅行』ではついにピーター卿の求婚を受け入れ、二人は結婚する。
ハリエットは医者の娘でオックスフォード大学のシューズベリー・コレッジ(架空のコレッジだが、セイヤーズが学んだサマーヴィル・コレッジがモデルとされる)で学ぶ。その後ミステリ作家として活躍する。フィリップ・ボーイズという男性と交際するが、彼が毒殺された(『毒を喰らわば』)ことからピーター卿と出会う。このときハリエットは29歳、一方ピーターは40歳近く、2人は10歳ほどの年齢差があることになる。
オックスフォードで学んでいることからも、ミステリ作家であることからも、ハリエットは作者セイヤーズ自身を反映していると思われる。ただし、セイヤーズ自身はミュリエル・セント・バーンに『学寮祭の夜』(ハリエットが主人公の作品)は自伝的小説ではないかと問われたとき、これを激しく否定している。
ハリエットの発言には女性問題に意識的であると思わせるものが多い。男性に付き従うことに甘んじる、伝統的な女性の役割に留まることを良しとする女性を軽蔑する発言が多く、フェミニストと言える。(ただし、セイヤーズは自身がフェミニストであるとは認めていない。)
キャロリン・G・ハイルブランはハリエットを完璧な人物に近く描き切ってしまったため、ピーターと結婚させたと述べている。「オックスフォードのセイヤーズ、ピーター卿、ハリエット・ヴェイン」というエッセイで、ハイルブランは詳しくハリエットを考察している。ハイルブランによれば、自らが自立した女性であったセイヤーズは、ハリエットのような女性を創造せざるをえなかった。この時代にこれだけ自立した女性登場人物は稀である、ともハイルブランは述べている。
1935年6月のミュリエル・セント・クレア・バーン宛ての手紙では、セイヤーズはピーターとハリエットのカップルについて次のように書いている。"Peter and Harriet are the world's most awkward pair of lovers ー both so touchy and afraid to commit themselves to anything but hints and allusions!" (Letters Volume 1, P.350.)
なお、ハリエットをピーター卿シリーズに登場させたのは、このシリーズを終わらせるためであったとセイヤーズ自身が後に述べている。ハイルブランはハリエットを創造することで、セイヤーズはピーター卿を抹殺でき、ダンテの翻訳など他の仕事に向かうことができた、としている。ピーターとハリエットが結婚する『学寮祭の夜』はシリーズの掉尾を飾る傑作である。
- チャールズ・パーカー(Charles Parker)
スコットランド・ヤードの警部。『誰の死体?』で初登場して以来のピーター卿シリーズに出演するシリーズ・キャラクターのひとり。
第2作『雲なす証言』はピーター卿の妹メアリの婚約者デニス・キャスカートが殺害される物語で、その検視の際、パーカーはメアリーと初めて対面する。第4作『ベローナ・クラブの不愉快な事件』で警部に昇進する。第7作『死体をどうぞ』でチャールズとメアリは結婚し、Great Ormond Streetに住むようになる。そのため、チャールズはピーターの義理の弟となる。『殺人は広告する』では二人の幼い子供(チャールズ・ピーターとメアリー・ルカスタ)をもうけている。パーカーは労働階級の出身で、彼とメアリの結婚は、ピーターと(あるいはセイヤーズの)階級意識を考える際、役立つかもしれない。
第10作『学寮祭の夜』にはチャールズは登場しない。最終作『大忙しの蜜月旅行』ではピーターとハリエットの結婚式に出席するだけのわずかな登場にとどまる。
全体的に、作品中パーカーの果たす役割は大きいとは言えず、ホームズ・シリーズにおけるレストレード警部のような役割にとどまっている。他方、ピーターの妹との結婚が描かれるなど、シリーズの縦糸として物語の豊饒さを増すのに寄与していると言える。また、犯罪者を正義の裁きにかけることが市民の義務であるという考えの持ち主である。
2. モンタギュー・エッグ・シリーズ
- モンタギュー・エッグ(Montague Egg)
11篇の短編に登場する素人探偵。本職はワインなどの酒類を売る巡回セールスマン(travelling salesman)。『販売員必携』という本を常に持ち歩き、そこにある「箴言」をラストで引用するのが定番の展開となっている。これはピーター卿が有名文学からの引用を多くするのと似ている。外見的には金髪で礼儀正しいが、太り気味である。
ただ、ピーター卿に比べると個性に乏しく、批評家筋の評価も高いとは言えない。彼が登場する作品も、ピーター卿ものに比べれば小粒である。